ときどき思い出したらそれでいい

記憶力が悪いのか、思い出したくないのか、たまにふと思い出したこと、考えたことを書いてみます。1977年生まれ、ぼんぼんと申します。

水木しげる先生のエピソードの中で好きな話

鳥取県境港市水木しげるロードへ行ってきた。

ゲゲゲの鬼太郎」でおなじみの水木しげる先生である。

 

私が子供のころはもう「夢子ちゃん」というキャラがいて、絵柄もそんなに怖くないアニメを放送していた気がする。

今はさらに現代っぽいというか、少女漫画っぽいというか、キラキラした画風のアニメが放送されているのかな?

(見てないので詳しくありません。なんとなくそんな雰囲気が)

ゲゲゲの鬼太郎をキラキラさせたら、なんだか良さが激減しそうだけど。

とにかく水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」といえば原作のおどろおどろしい絵の世界感が素晴らしい。

 

水木しげる先生の数多くのエピソードの中で個人的に好きな話が、太平洋戦争で戦地に赴き、その土地の原住民の人たちと仲良くなったので戦争が終わった後に日本に帰るかそのまま暮らすかどうか迷った、というもの。

 

戦争の体験談で聞く話などでは、日本兵は現地の人々の食糧を奪ったとか、戦争の前は友人関係だった現地の人に敵扱いを受けたとか、いい話はほとんど聞かない。

私の知っている戦争の話で、唯一の(たぶん)ほんわかエピソード。

それが、水木しげる先生は単に仲良くなっただけではなく、「日本に帰るのを迷う」ほど仲良くなったのだから凄まじい。

 

原住民の人たちから一緒に暮らそうと誘われてその気になったけど、日本人の誰かに説得されて、一旦日本に帰ってまた数年後に帰ってくることにして、帰国したらしい。

(簡単に書いてすみません。詳しく知りたい方は調べてください)

 

おおらかな人だ、と言っていいのかどうか。

誰でもみんなが「家に帰りたい」と強く願っていて当然だろうという思い込みを壊してくれる。とにかく好きな話だ。

 

さて、境港の水木しげる記念館で、水木しげる先生の略年譜でのとある説明文に度肝を抜かれた。

 

子どものころ、水木しげる少年は「人の死ぬところが見たい」と言って弟を海に突き落とし、溺れる様子を眺めていたことがある、と。

(通りかかった人に弟は助けられたので無事だった。水木しげる少年はひどく叱られたらしい)

 

なんということ。とんでもない。

水木しげる先生のことをすべて知っているつもりも全く無かったけど、そんなことをしでかしていたとは。

しかも、弟。

(弟なのに、なのか、弟だからまだ良かった、なのか、この場合分からないけど、通りかかった人に助けられたから、結局、良かったね)

 

しかし、おおらかどころじゃない。

これは、これは、奇人変人だ。

いやちがう、浅はかな子どものしたことだ。

でも、これが「天才」ということなのかもしれない。

 

とにかく、どひゃー!となった。

笑う話なのか。なんだか引いた。

 

しかし、水木しげる先生は人とはかなり違っていておもしろい。

私も「変な人」とたまに言われるけど、自分の「変な人」のレベルなんぞ低すぎて水木しげる先生の足元にも及ばないな、つまんないな自分は、と思った!

 

さて、水木しげるロードには「なまけ者になりなさい」という名言の刻まれた像がある。(境港駅すぐのところにある)

自分もなまけ者だと思うのだけど、時々、がんばっていなくて申し訳ない、とか、ここは頑張ろう、とか、不思議なことにがんばる根性がどこかにある。

本当のなまけ者には響かない言葉だと思った。

本当になまけ者だったらきっと言わない言葉だろうとも思った。