TwitterはXになった
TwitterはXになった。
今年2023年の7月からだった。
慣れたか慣れてないかで言えば、慣れてない。まだツイッターと呼んでいる。
たまにXと言ってみる。
人の反応が「X、あぁ、元Twitterね」という感じなので、慣れるまでにまだ時間がかかるのかもしれない。
Xに限らないしSNSでは目くじら立てることでもないけど、誤字が多い。
PCとスマホの普及の弊害、というと大袈裟かもしれない。でも同じような誤字を何度も見ていると正しい字に自信が持てなくなり頭が悪くなる感じがするのが困る。
いや、私の頭は悪くなってきている。確実に。
たぶん、世の中の人みんなも頭が悪くなっている。
目くじらは立てないけど気になる。
誤字だけでなく日本語の言い回しがおかしいこともよくある。
最近気になるのは、
「●●が発売しました」などという言い方。●●は例えば商品とかモノ。
これがけっこう気持ち悪い。
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「が」と「しました」のあたり、むずむずする。
主語とか動詞とか目的語とか「てにおは」とか「する」「される」とか。
こういうどうでも良さそうなことはそんなにどうでも良くはないんじゃないかな、たぶん。
もしかして現代の学校では文法を教えなくなった?まさかね。
気持ち悪いところは直しておこう。
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だな。すっきり。
話し言葉は大目に見てあげる。
XとかのSNSが話し言葉なのかその延長なのかはよくわからない。
ただ、小説や新聞でも間違った日本語が横行するようになったら何かが終わったような気になるんじゃないかな。
ちなみに、新聞を読んでほとんど無いけど稀に誤字を発見することがあると、ヤッター!という感じで、ものすごくうれしい。
ほとんど無くて稀だから、なのかも。
水木しげる先生のエピソードの中で好きな話
私が子供のころはもう「夢子ちゃん」というキャラがいて、絵柄もそんなに怖くないアニメを放送していた気がする。
今はさらに現代っぽいというか、少女漫画っぽいというか、キラキラした画風のアニメが放送されているのかな?
(見てないので詳しくありません。なんとなくそんな雰囲気が)
ゲゲゲの鬼太郎をキラキラさせたら、なんだか良さが激減しそうだけど。
とにかく水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」といえば原作のおどろおどろしい絵の世界感が素晴らしい。
水木しげる先生の数多くのエピソードの中で個人的に好きな話が、太平洋戦争で戦地に赴き、その土地の原住民の人たちと仲良くなったので戦争が終わった後に日本に帰るかそのまま暮らすかどうか迷った、というもの。
戦争の体験談で聞く話などでは、日本兵は現地の人々の食糧を奪ったとか、戦争の前は友人関係だった現地の人に敵扱いを受けたとか、いい話はほとんど聞かない。
私の知っている戦争の話で、唯一の(たぶん)ほんわかエピソード。
それが、水木しげる先生は単に仲良くなっただけではなく、「日本に帰るのを迷う」ほど仲良くなったのだから凄まじい。
原住民の人たちから一緒に暮らそうと誘われてその気になったけど、日本人の誰かに説得されて、一旦日本に帰ってまた数年後に帰ってくることにして、帰国したらしい。
(簡単に書いてすみません。詳しく知りたい方は調べてください)
おおらかな人だ、と言っていいのかどうか。
誰でもみんなが「家に帰りたい」と強く願っていて当然だろうという思い込みを壊してくれる。とにかく好きな話だ。
さて、境港の水木しげる記念館で、水木しげる先生の略年譜でのとある説明文に度肝を抜かれた。
子どものころ、水木しげる少年は「人の死ぬところが見たい」と言って弟を海に突き落とし、溺れる様子を眺めていたことがある、と。
(通りかかった人に弟は助けられたので無事だった。水木しげる少年はひどく叱られたらしい)
なんということ。とんでもない。
水木しげる先生のことをすべて知っているつもりも全く無かったけど、そんなことをしでかしていたとは。
しかも、弟。
(弟なのに、なのか、弟だからまだ良かった、なのか、この場合分からないけど、通りかかった人に助けられたから、結局、良かったね)
しかし、おおらかどころじゃない。
これは、これは、奇人変人だ。
いやちがう、浅はかな子どものしたことだ。
でも、これが「天才」ということなのかもしれない。
とにかく、どひゃー!となった。
笑う話なのか。なんだか引いた。
しかし、水木しげる先生は人とはかなり違っていておもしろい。
私も「変な人」とたまに言われるけど、自分の「変な人」のレベルなんぞ低すぎて水木しげる先生の足元にも及ばないな、つまんないな自分は、と思った!
さて、水木しげるロードには「なまけ者になりなさい」という名言の刻まれた像がある。(境港駅すぐのところにある)
自分もなまけ者だと思うのだけど、時々、がんばっていなくて申し訳ない、とか、ここは頑張ろう、とか、不思議なことにがんばる根性がどこかにある。
本当のなまけ者には響かない言葉だと思った。
本当になまけ者だったらきっと言わない言葉だろうとも思った。
あなたの前に塀があります
突然ですが、
「イメージしてみてください。
あなたの前に塀があります。それはどのくらいの高さですか?」
大学時代に出された心理クイズ。(みたいなもの)
答えは最後に。
サークルの1つ上の先輩で、もう名前を忘れてしまったけど、変な先輩がいた。
いつも一人で、でもサークル活動にはたまに顔を出して、変わり者なので1つ上の学年の先輩たちもあまり仲良くしてなくて、でも、独特な人に興味がある私はよくつきまとっていた。
先輩からは、「おまえみたいなバカと一緒にいたらバカがうつる」と小学生みたいなことをよく言われた。
このように馬鹿として扱われてはいたものの、実際に私は結構な馬鹿だったし、言葉使いは悪かったものの、先輩の乱暴な言葉に隠された優しさも感じていたので傷つくこともなく、そして何より先輩は頭がとても良かったので、色々と質問するときちんと賢い答えを返してくれるのがとても面白かった。
いま思えば、迷惑なヤローだったな。
でも、先輩は頭が良すぎて人間関係がうまく築けない人だったと思うので、それでたまには人間でも…という感じで、こんな変ちくりんの相手をしてくれたんだろう。
何かの時に、おまえはバカすぎるから本をたくさん読め、と言われた。
ごもっともだったのだけど、私は、読んでますよ~(少しは)と。
三浦綾子の『塩狩峠』は読んだか?と言われ、三浦綾子を知らないし読んでないと言うと、三浦綾子の小説を読まずに本を読んでいると言うな!と怒られた。
すぐ、『塩狩峠』を読んだ。
大学生なのにこんな本勧めてくるなんて、先輩スゲー!と。
その後も三浦綾子の本は何冊か読んだ。(全部読め、って感じだけど)
おすすめである。
先輩は私のことを割とかわいがってくれた。(と思う)
恋愛感情みたいなものはお互いに微塵もなく、馬鹿で能天気な後輩と、孤独な影を背負った賢い先輩だった。
先輩がサークルに顔を出していたのは1年間もなかった。(サークル活動をするのは1年生、2年生くらいだった)いつの間にか来なくなった。
今もどこかで元気にしているといいな、と思う。
先輩が他の人としゃべっているところはほとんど見たことがない。
ある時、「どうして先輩は他の人と話さないんですか?」と質問したら、「おまえと違ってプライドが高いんだよ」と。
「私だってプライド高いですよ!」と言ったら、じゃあということでされた質問が冒頭のもの。
「あなたの前に塀があります。それはどのくらいの高さですか?」(先輩の言葉遣いはもっともっと悪かっただろうけど)
当時の私の答え。
「このへんですかね」(首のところ)
「(絶句)…それでプライド高いって言わないんだよ!!」と。
先輩のはどのくらいか訊いたけど、頑なに教えてもらえなかった。きっと想像以上に高かったんだろう。
自分の身長の高さを基準にしてそれより高いとプライドが高い、低いとプライドが低い、ということらしい。
頭一つ分しか低くないなんて、プライド高いほうじゃん?と思った気がする。
友達とかいろんな人にやってみたけど、全然覚えてない。先輩のプライドが高すぎたことだけが妙に印象深い。
懐かしい。先輩の名前を忘れて、ほんとすみません、先輩(笑)
「だからおまえはバカなんだよ!」って言われそう(笑)
でも、楽しかったいい思い出。
反抗期がある人とない人の違いは何なのか
何日か前にTwitterのタイムラインで知らない女性のツイートが流れて来た。
どうも中2の娘がいて、登校拒否で学校に行ってくれないが、夫は娘にすぐキレて話し合いにならず、しかも夫は在宅ワークなので家で一日中一緒に過ごさなければならなくて、その女性もコロナで無職で、昼は娘とファミレスなどで夫から避難し、機嫌が悪い時の娘からは時々死ねと言われて悲しい、というような内容だった。
気の毒でしょうがない。
私も反抗期が中2の頃にあった。
私はいつも怒っていた。
その対象はだいたい父親だった。(たまに母親や学校の先生だった。)さらにひどいことに私の反抗期は父親に対してだけ、とても長く続いた。
およそ15年。
長すぎる。
でも、突然に終わった。
長すぎて「反抗期」と呼んでいいのかわからない。別のなにかだったのかもしれないけど、とにかく30才を目前にしてやっと私は大人になったんだろう。
その女性のツイートは当時を思い出すのに十分だった。
「死ね」という言葉。それを当時の私は使ったことがあったか?と考えた。
はっきりとした場面は覚えてないけど使ったことがあると思う。
私が父親に対して「死ね」と言った。(ような記憶がうっすらある)
その時、母親が(いつも様子を見て後で私と父親の両方をなだめたりすかしたりしてくれていたのだが)私に向かって猛烈に怒った。
「「死ね」という言葉を親に向かって二度と言うんじゃない!」(そんな内容だったと思う)
母親に猛烈に怒られることはほとんどなかったので(父親からは日常茶飯事だったけど)、さすがに響いた。(と思う)
たぶん、それから私は「死ね」という言葉は父親にも他の人にも一度も使ってない。少なくとも面と向かっては。
私の2つ年上の兄には反抗期がなかった。母にもなかった。
父にはあった。
反抗期のある人とない人の違いは何なのでしょうね?
さてその悪夢のような約15年もの長い反抗期は、何がきっかけで終わったのか?
シンプルに「生物学的に父親と母親がいなければ、私は今この世界に存在しない」ということが事実として受け入れられたからだと思う。
私は反抗期の間じゅうずっと、「もっとこうであったら良かったのに」と腹を立てていた気がする。(特に父親に対して。他の大人たちにも。世の中の全てにも。)
そして、「なれるのに、なろうとしない」と勝手に腹を立てていた。
でも、「なれない」(というか、誰も何も私の勝手な理想になるわけがない)ということが今は分かる。
つまり、私はものすごく馬鹿だった。
父親に対して、約15年もの長い間、勝手に幻滅して、勝手に理想を抱いて、実際の父親を否定していた。自分勝手でわがままだった。きっとたぶん、個人的には、そういうことだと思う。
Twitterの見知らぬ女性の中2の娘さんの反抗期が早く終わりますように。
反抗期って、地獄みたいなんだよね。無ければ無い方が、短ければ短い方が、いい。
「語学留学したい」と言った時のこと
親戚の子が海外(ヨーロッパ圏)の大学に入学するために旅立ったらしい。
また聞きの話しか知らないけど、彼女は自分で調べてヨーロッパの大学を受験して、日本の大学も受験して合格して、その中から選んだのだそう。
すごいと思う。
行動力も決断力も。親を説得する力も。
私も10代の頃、海外に憧れていた。
高校の成績は普通だったけど、英語は「中の上」くらい。大学は英語系学科に入学した。
夏休みに海外で1週間から2週間程度の語学研修とかサマースクールというのがあると知り、これは!と思って両親に行きたいとお願いしたら反対された。
理由は、
「外国に行ったら殺される」
「死んでもいいなら自分でお金を稼いで行け」
というものだった。
現代ほど情報化されてない時代の田舎の人の常識(偏見)だったんだろう。
今思うと甘いのだけど、勝手に親は自分の為にお金を出してくれるものだと思っていた。
話し合いという話し合いにもならずなんだか理不尽だと思ったけど、お金が自分では捻出できずあきらめた。
自分の家は貧乏なんだな、と思わされた出来事でした。
思うのは、2020年と1990年代ではインターネットやスマホの普及で情報量が劇的に違うということ。
それで良いこともたくさんあるだろうし、良くないこともたくさんある気もする。
でも、知りたいことが簡単に知れるというのは単純にうらやましい。
当時の私にインターネットがあれば、外国なんか行けなくても英語が若いうちに上達したのでは…と思う。
実際には英語が上達する前に意欲が減退して今に至る。
とにかく親戚の子には、学ぶ意欲がある若いうちにやりたいことが出来るのだから、大いに学んで大いに成長して、想像するに素敵そうなヨーロッパでのキャンパス・ライフをエンジョイしてもらいたい。
正直、何もかもうらやましい。
私が「自分の家は貧乏なんだな」と思った話には続きがあるので、そのうちまた。