ときどき思い出したらそれでいい

記憶力が悪いのか、思い出したくないのか、たまにふと思い出したこと、考えたことを書いてみます。1977年生まれ、ぼんぼんと申します。

反抗期がある人とない人の違いは何なのか

何日か前にTwitterのタイムラインで知らない女性のツイートが流れて来た。

どうも中2の娘がいて、登校拒否で学校に行ってくれないが、夫は娘にすぐキレて話し合いにならず、しかも夫は在宅ワークなので家で一日中一緒に過ごさなければならなくて、その女性もコロナで無職で、昼は娘とファミレスなどで夫から避難し、機嫌が悪い時の娘からは時々死ねと言われて悲しい、というような内容だった。

気の毒でしょうがない。

 

私も反抗期が中2の頃にあった。

私はいつも怒っていた。

その対象はだいたい父親だった。(たまに母親や学校の先生だった。)さらにひどいことに私の反抗期は父親に対してだけ、とても長く続いた。

およそ15年。

長すぎる。

でも、突然に終わった。

長すぎて「反抗期」と呼んでいいのかわからない。別のなにかだったのかもしれないけど、とにかく30才を目前にしてやっと私は大人になったんだろう。

その女性のツイートは当時を思い出すのに十分だった。

 

「死ね」という言葉。それを当時の私は使ったことがあったか?と考えた。

はっきりとした場面は覚えてないけど使ったことがあると思う。

 

私が父親に対して「死ね」と言った。(ような記憶がうっすらある)

その時、母親が(いつも様子を見て後で私と父親の両方をなだめたりすかしたりしてくれていたのだが)私に向かって猛烈に怒った。

「「死ね」という言葉を親に向かって二度と言うんじゃない!」(そんな内容だったと思う)

母親に猛烈に怒られることはほとんどなかったので(父親からは日常茶飯事だったけど)、さすがに響いた。(と思う)

たぶん、それから私は「死ね」という言葉は父親にも他の人にも一度も使ってない。少なくとも面と向かっては。

 

私の2つ年上の兄には反抗期がなかった。母にもなかった。

父にはあった。

反抗期のある人とない人の違いは何なのでしょうね?

 

さてその悪夢のような約15年もの長い反抗期は、何がきっかけで終わったのか?

シンプルに「生物学的に父親と母親がいなければ、私は今この世界に存在しない」ということが事実として受け入れられたからだと思う。

私は反抗期の間じゅうずっと、「もっとこうであったら良かったのに」と腹を立てていた気がする。(特に父親に対して。他の大人たちにも。世の中の全てにも。)

そして、「なれるのに、なろうとしない」と勝手に腹を立てていた。

でも、「なれない」(というか、誰も何も私の勝手な理想になるわけがない)ということが今は分かる。

つまり、私はものすごく馬鹿だった。

父親に対して、約15年もの長い間、勝手に幻滅して、勝手に理想を抱いて、実際の父親を否定していた。自分勝手でわがままだった。きっとたぶん、個人的には、そういうことだと思う。

 

Twitterの見知らぬ女性の中2の娘さんの反抗期が早く終わりますように。

反抗期って、地獄みたいなんだよね。無ければ無い方が、短ければ短い方が、いい。